CEDEC2014「ゲームデザイナーの仕事」セッションプレビュー

明日、CEDEC2014で以下のようなセッションを行う。

脱「プランナー」〜ゲームデザイナーの仕事〜

このセッションと同時刻に複数の注目すべきセッションがあるため、行こうかどうか迷ってる人のためにセッション内容についてもう少し詳しく説明する必要があると感じた。また、原稿を準備してリハーサルを重ねる中で、全てを話すには時間が足りなさすぎる事が分かり、一方でこのセッションで本当に伝えなきゃいけない事も見えて来たので前日のこのタイミングでblog記事として公開する事とした。

セッションの趣旨

今一番の問題は「ゲームデザイナーを目指す人にゲーム会社への就職をすすめる事ができない」これにつきる。また、「じゃあ下田みたいに仕事するにはどうしたら良いの?」って問いについてこれまでは「色々と偶然が重なってこうなってるから誰にも真似できない」と答えて来たが、この機会に自分のキャリアを振り返って何かしら必然的に現在の仕事に繋がった事を整理してみようというのが自分自身のテーマ。

60分のセッションの中で色々な話をするが、

  • 日本のゲーム会社のプランナーはゲームを作る仕事から遠ざかっている
  • ゲーム作れる人がそのスキルを発揮できる産業・企業であって欲しい

全てこの観点から語るつもりでいる。

自分自身のキャリアについて

CEDECの公式サイトやパンフレットでは、

第一部 講演者のキャリア、スキルアップの過程

となっているが、実は初めてリハーサルをした時にこの第一部が異常に長くなってしまった。スクウェア・エニックスのプランナー研修生として初めてゲームのスクリプトに触れた時から独立するまでを振り返る内容だったのだが、特にスクウェア・エニックス時代の経験についての言及が長くなってしまった。本番では

  • ゲーム開発の専門職としての雇用形態
  • スクリプト開発によるスキルアップ

という観点から当時のスクウェア・エニックス(FF11チーム)の開発体制を再評価する事に焦点を絞りたい。

レベルデザインという言葉の誤解

これは公式サイトの紹介ページでは触れていない話題だが、自身のスキル特性を分析したところ、マップやシーン等の単位によって区切られたゲームプレイやコンテンツを作り込むレベルデザインの経験によって「自分で作る」「思いついた事をすぐに実装する」というラピッドプロトタイピングのスキルが伸ばされた事に気付いた。

一方で、日本においてはこの「レベルデザイン」という言葉の意味が「難易度調整」「パラメーター調整」という意味で大きく誤解されて広まったため、本来の意味でのレベルデザインがゲーム開発の工程において忘れられた。海外のゲーム開発現場にはプランナーという職種がないが、逆に日本にはレベルデザイナーという職種が存在しない。

  • 本来の意味でのレベルデザインという工程の重要性
  • UnityやUnrealでのプロトタイピングはレベルデザインに端を発する

この観点から日本におけるゲームデザイナー育成環境の問題点を指摘する。

BFBそしてFFアギトの振り返り

これら2つのスマートフォン用ゲームの開発において、下田はゲームデザイナーとして他の「プランナー」とは仕事スタイルを明確に区別して、とにかくUnityを触りC#のコードを書き続けた。それにより確かな成果を出せたと思っているが問題は

  • 本当にこれまでのプランナーでは良いゲームは作れないのか
  • プログラマーにアイディア出させるのと同じじゃないのか
  • そもそもゲームデザイナーの条件ってコード書ける事だけなのか

という点である。公式サイトやパンフレットの紹介ページでは

第二部 「バーコードフットボーラー」「ファイナルファンタジー アギト」における講演者の仕事スタイルの紹介
第三部 「プランナー問題」

となっているが、そもそもプランナー問題が先にあったうえで、BFBやFFアギトにおいては(少なくとも自分の仕事の範囲内では)それを解決したという話の流れなので、話の順番は多少前後するかもしれない。

いずれにせよ、ゲームデザイナーの仕事とは何か、それは現状のプランナー/プログラマーという職分ではどちらも実行できないのか。そこに時間を割いて話をしようと思う。

セッションが終わっても話を続けよう

自分のセッションは初日だが、最終日まで会場にいる予定。特に他のセッションを聞くだけに時間を費やすつもりはないので、セッション終了後にもっと詳しく話を聴きたい人がいれば、話をする時間を設けようと思うので気軽に声をかけて欲しい。また、実験的な試みだが主に学生や求職者や転職希望者向けには有料(チャリティ)のキャリア相談も予定しているので、活用して欲しい。

タイムチケット「ゲームデザイナーのキャリア相談」

それでは横浜で会いましょう。

ワールドカップを観て思ったこと

「王国」ブラジルでの開催

ブラジルという国は好きだし、ここでの開催は楽しみにしていた。テレビで何度も流れたこの映像もサッカー少年の夢や期待を上手く表現した素晴らしい物だった。

ただし、結果としてはこの特別なシチュエーションが開催国ブラジルを含む選手や審判に異常な緊張を与えて、悪い方向に働いてしまったと思う。グループリーグでの不可解な判定の数々、スキルフルなチームの惨敗、そしてホームの笛に甘えて稚拙でラフなプレーに走ったブラジル。ネイマールの悲劇はそれまでのブラジルのプレーを考えると必然的とも言えた。

日本代表

そこまで悪いサッカーしてなかったと思うし、個々の選手のスキルは確かに高いし、4年間追求した前線に人数割く攻撃サッカー、フィジカルで勝負せず、パスで繋ぐサッカーは間違ってなかったと思う。グループリーグの他の国の試合のゴールシーン観て、「勝てるのは羨ましいけど、スペースを駆けるサッカーは古いな」と思ったし。今足りないのは、ドン引きした相手への崩しのアイディアの不足と、相手によって使い分けるプランB、プランC、そして相手の対策にあった時のプランD、プランEの不足だと思う。ザッケローニが3-4-3のプランBを諦めてしまったのはもったいなかったが、そういう引き出しの多さは長い時間かけて積み上げて行くものなのかな。絶対に強くなってると思うし、2006年の時と比べるとずっと前向きな敗戦だったと思う。日本はマスゴミの影響で監督が悪いって論調になりがちだけど、次の監督もザッケローニの路線を踏襲して欲しいなと思う。

マスゴミサッカーの悪影響

今回、残念だったのは日本のマスメディアの質が4年前と全然変わってなかった事。ジョン・カビラの声を聞くたびにテレビを消したくなった。僕は、「日本代表だけを応援する」ようなライト層の価値観を「マスゴミサッカー」と呼ぶようにしている。それは、4-2-3-1や4-3-3といった数字のフォーメーションにスター選手を当てはめて「最強の布陣!」「これで勝てる!」と言うような価値観である。それとスターシステムの象徴である「トップ下」への拘り。「本田、香川のどっちがトップ下にふさわしいか」なんて論争が起きる時点で馬鹿らしい。3-4-3を「トップ下がないフォーメーション」だからという理由で嫌った事も。実は、このマスゴミサッカーはスポンサー等の関係でサッカー協会や代表スタッフにも影響を与えている。ザッケローニの3-4-3はマスゴミに潰されたと言っても良いだろう。システムを数字でしか観られないから「3トップ=トップ下がいない」「3トップの両サイド=ウィング、本田はウィングじゃない!」とか言い出しちゃう。試合中に両サイドが中央に絞って2シャドーになったり、センターフォワードの役割を固定せずにゼロトップのように3人が常に入れ替わる動きもプランとしてあったはずなのに、それを全く解説できないマスゴミ。むしろそれまでのマスゴミの流儀で「新次元3トップ」とか言って煽る事もできたはず。勉強不足なマスゴミの罪は大きい。

サッカーは相手がいるし90分間に状況の変化があるもの

決勝戦を観て、サッカーというのは相手がいて、こちらの戦術への相手の対策があって、それに対するさらなる対策があって、90分の間に対策への対策、修正に継ぐ修正を繰り返せる選手・チームが勝つんだと思った。4-2-3-1や4-3-3というのはスタート時の位置とディフェンス時の原則的な守備範囲を示す以上のものではなく、90分の中で刻々と変化する戦術の流動性、多様性こそがサッカーの面白さ、奥深さだと再認識した。

バーコードフットボーラーもっと面白くしたい

具体的にはここで言えないけど、バーコードフットボーラーをもっと面白くしたいし、面白くするプランを色々考えた。マスゴミサッカー撲滅のためにサッカーというゲームの面白さ、奥深さをゲームを通して伝えて行きたい。

ゲームデザイナーとして独立して5年

株式会社degGの創設は2010年6月30日なんだけど、その1年前には個人事業主の開業届を出していたので、独立してからもう5年続けた事になる。5年というのは長い。この間に経験した事、分かった事が色々ある。

最初はやばかった

最初の1年半くらいは全然仕事なくて収入が激減した。理由は3つあった。

  • スキルが低かった
  • クライアントに常駐する仕事は絶対やらないと決めていた
  • お金にならない企画に時間を費やしていた

独立に必要だったスキルとは・・・

それは自分1人でゲームやアプリを作れちゃうスキル。それがあれば当時は1人で出来ちゃうようなサイズのiOS用のゲームの開発案件なんていくらでもあった。そのスキルがないのに独立した理由は、ゲーム会社の「プランナー」なんてやっていてもゲームデザインの経験や実績を積めるとは思わなかったから。とりあえず独立した時点で自分に出来る事は

  • 図入りの企画書やゲームデザインドキュメントや仕様書を書くこと
  • レベルエディタ等ツールを使ってゲームコンテンツを作ること
  • 簡易なプログラミング言語(スクリプト)でゲームコンテンツを作ること

くらいだった。しかし驚くなかれ、独立する前にいたコーエーという会社ではこれだけで高スキルとみなされたのだ。

最初に常駐仕事を選ばなかった理由

まず独立したきっかけは、GDC2009で知り合ったカナダのインディーディベロッパーの仕事をリモートで手伝っていた事だった。それを続ける前提で独立した。いくら安定して稼げると言っても業務委託契約でクライアントのオフィスに常駐するのは派遣社員と何ら変わらない、独立する意味は全くないと考えていた。とにかく会社にいたら絶対にできない事をしたかった。そのカナダとの仕事がずっと続けば良かったけど、一段落した時に収入が途絶えてしまった。それと当時は円高でカナダドルで振り込まれた報酬を両替するとたいした額にならなかった。そのカナダとの仕事以外にも自宅でできる面白い仕事はあったのだが、小額の成果物単位での契約だったので収入は安定しなかった。やはりスキルが限定されていた事が問題だった。

あまり意味のなかった中途半端な起業ごっこ

最初に大きな失敗があったとしたらこれだった。何をしていたかというと当時興味があった人材育成に関する事業企画をゲーム開発ツールのメーカーさんやゲーム専門学校さんに提案していた。持ち込み企画なのでまずは試しにと自分の報酬はなしで実現させた企画もあったが、結局後が続かなかった。何故そんな事をしていたかというと、単純にゲームを作る事以外に収入を得る方法があるのか試したかったのと、自分が中心となって企画を進める起業家気分に酔っていた。本当はとにかく自分のゲームが作りたい癖に、ゲームの企画が通らないからって代償行為をしている事に当時の自分は気付かなかった。

そして震災がとどめを刺した

そんな調子でもMobage/GREEブームのおかげで2010年から2011年にかけてゲーム業界外のクライアントさんから小規模なガラケー用ゲームのゲームデザインの仕事が入って収入が安定し始めた。それと並行して大手ゲームパブリッシャーに提案するアーケードゲームの企画を間に入った開発会社さんと一緒に進めていた。そんな感じで収入は少なくとも安定して仕事を続けていたのだが、あの地震で全てがなくなってしまった。まず、Mobage用ゲームの仕事は内容が「日本崩壊」を題材にしたものだったのでお蔵入りに、そして大手パブリッシャーさんのアーケードゲームの方もそのタイミングで白紙に戻ってしまった。というわけで震災でほぼ全ての仕事がなくなってしまった。

震災からの復興は亡き恩人とUnityがもたらした

2011年の5月くらいまで、家に引きこもってお菓子を食べて映画やドラマを見る生活を続けた。そうしながら新しいゲームの企画書を複数作ってパブリッシャーさんや開発会社さんに見せてたのだが、反応はいまいちだった。そこでもう企画の提案は断念した。そしてもうゲームの仕事自体廃業して近所で英語の先生でもやろうかと考えていたところ、今年1月に亡くなられたモバイル&ゲームスタジオのプロデューサー宮田大輔さんより「Unity詳しいですよね?ゲームじゃないけどUnityでスマフォアプリを1つ作る仕事があります。1人で作れますか?」と仕事を頂くことができた。Unityは独立直後の2009年に仕事で初めて触れて以来、個人的にフリー版を触り続けてはいたのだが、まだ本格的に製品レベルのプログラムをまるごと作るまでには至っていなかった。C#のコーディングができなかったのである。しかしこの仕事をきっかけにC#のコーディングスキルを身につけ1人でゲームが作れるようになった。これが次の仕事である「バーコードフットボーラー」に繋がったのだが、間違いなく自分のキャリアの転機となった仕事であり、宮田さんに対する感謝は忘れていない。恩返しできなかった事が本当に残念でならない。

Unityが仕事のスタイルを変えた

UnityでC#のコーディングができるようになって何が変わったか。それは企画書やゲームデザインドキュメントやその他細かい仕様書を書くより早く動作するプログラムをプレゼンできるようになった事だった。また自らの手で実装を進められる事によりイタレーション(テストプレイ→修正→テストプレイの繰り返し)の精度と速度が上がった。その成果が出たのが「バーコードフットボーラー」だった。このゲームのチーム編成機能や試合部分の基礎と、試合結果を見せるカットシーンを作るためのエディターはあっという間に出来てしまった。そのため開発後期にカットシーンの作り込みや試合ロジックのイタレーションにまた時間を割く事ができた。今でもこのゲームのアップデート開発を続けているが、コンテンツを考えた自分が実装も担当する事によって、ゲームの運営において次々と上がって来る要望に対する即応性が担保できていると言える。

やらないと決めてた常駐仕事を請けた

さて、「バーコードフットボーラー」は当時の主幹開発会社であった株式会社たゆたうさんが僕のことを「Unityが使える人」とTwitterで見つけた事により始まったのだが、開発末期になると僕の仕事が減って来てしまった。そこでたゆたうさんから「新しいプロジェクトを始める、それは密度の高いコミュニケーションが要求されるので常駐して欲しい。常駐すればバーコードフットボーラーの仕事も続けられる。」と声をかけられた。それが「ファイナルファンタジー アギト」だったわけだが、二つ返事でOKして、たゆたうさんから徒歩5分くらいの所を借りて平日だけそこに住み、週末に船橋に帰るという生活を始めた。常駐仕事は断り続けて来たのにOKしたのは

  • スクエニをやめる時に「またいつかFFの仕事をしよう」と思っていたから
  • 一時的にやりたい事我慢してでもまとまった額の契約でお金をためようと思ったから
  • FFアギトと並行してバーコードフットボーラーの仕事もしやすくなるから

という理由からだった。結果たゆたうさんの社内で良い出会いがあったし、FFアギトでは良い仕事が出来たと思うし、リリース後のバーコードフットボーラーに対してもより大きく貢献ができて成功につながったと思う。

皆で同じオフィスにいなくてもクオリティの高い仕事はできる

たゆたうさんへの常駐は2012年9月から2013年11月まで続いた。まとまった額の報酬もそうだし、得るものは大きかったのだが、逆にそれ以上の期間続けるとリスクに対するリターンの割合はどんどん低下すると思った。やはりオリジナルゲームの開発を進めたい自分にとって常駐というのは犠牲にするものが大きい。そして自宅での仕事を再開して思ったのは、仕事のクオリティを高めるために常駐しきゃいけない理由はないという事。常駐を要求される主な理由はコミュニケーションの密度の問題なのだが、正直言ってコミュニケーションの頻度やその質というのは個々人の意識に依るところが大きく、近くにいるか遠くにいるかはあまり関係ない。どうも日本社会においては「対面コミュニケーションはテキストの交換に勝る」という思い込みが蔓延しているようだが、結局のところゲームにしろその他プログラム開発にしろ文書によって情報を共有する意識の低いチームは失敗する。その意識の低さに対する自覚なしに「リモートだと意思の疎通が難しい」という人が多い。それに対しては今後もNOを突きつけて、リモートでの仕事を続けさせて頂きたいと思う。ちなみに今オリジナルゲームのためにある会社さんにキャラクターデザインを発注しているのだが、アーティストの方と一度も顔を合わせなくても素晴らしいキャラクターデザインが上がって来る事に感激している。これは本来当たり前の事であって、リモートでの仕事を否定したら海外へのアウトソーシングも全然できないわけだし、もう少し業界全体として理解を進めて行って欲しいと願う。

オリジナルゲーム開発の課題

しかしこの5年でオリジナルゲームを1つも出せなかったのは残念な結果として反省している。そもそも始められなかった理由は資金の問題だったが、プログラミングや一部グラフィックスの作業等自分でできる事が増えた事によって必要なお金は減って来ている。また、そもそもお金をかけなきゃ面白くならない(売れない)ようなゲームしか考えつかないことに問題があったので、最近はとにかく手持ちのお金で作れるもの、それでいてちゃんと面白くできるものを考えるようにしている。

大事なことは全て無視。超大事なことにだけ集中する。

オリジナルゲームの開発規模をどう縮小していくかという話に繋がるのだが、この5年で学んだ大きなことは主に

  • ゲーム開発は数多くの大事なことの中から超大事なことだけを取捨選択する仕事である
  • 自分にとって超大事な事のために独立したのを忘れるな

という事。結局、当初の失敗というのは本当にやりたい事忘れて微妙なことに中途半端に手を出していた事だし、未だにオリジナルゲームを出せない状況というのもいつ作れるか分からないゲームの夢を追い続けることと今作れるものをすぐに作るのどっちが大事だって話になる。後者の方が超大事って結論が出たので今年中には何かしらリリースするつもりでいる。

独立は楽しいよ

最初の2年は回り道だったけど、この5年で得たものはあのままゲーム会社の社員やってたら絶対に得られなかったと思ってる。収入は確実に増えたし、着実に自分の目標に近づいてる実感がある。もし会社員としての今後のキャリアに悩んでる人がいたら独立をすすめる。意見感想があったらtwitterに寄せてほしい。

 

 

 

 

勝ち戦や温い環境でしか伸びないスキル

日本代表残念だったー。こういう時って凄くサッカーの話をしたいんだけど、試合の分析や選手の評価について専門家じゃないのがああだこうだノイズをまき散らすのは好きじゃないので今日の試合とは直接関係ない話を。僕は常々自分の仕事をサッカーに例えて考えているのでそういう話をしようと思う。

経験とか場数とかいうものには勝ち戦と負け戦の2種類があって、日本は負け戦で鍛えられるみたいな根性論が好かれるけど、勝ち戦とか余裕のある環境じゃないと伸びない能力もある。(今日の日本は負け戦で強くなって欲しいけど。)

自分の場合だと、最初に入った会社がスクウェア・エニックスでしかも全盛期のFF11のチームに配属されたというのが幸運だったと思う。自分はガラケー用のゲーム開発とかもっと小さいチームでリーダーに近い仕事を経験したかったんだけど、希望通りにその仕事してそれで失敗したら次どうしたら良いか分からなかったと思う。

企画とかゲームデザイナーに必要なスキルって突き詰めると戦術無視した個人技だと思う。サッカーに例えるとドリブルで突破できるとか豪快なミドルシュート撃つとかフリーキックが凄いとか。そういうスキルって試合の中でチャレンジしないと伸びないし、勝ってる試合もしくは既に十分勝ち点あるから今日は負けても良いって試合でしかチャレンジできない。それとチーム全体のレベルが高ければスペースあるとこで前向いてボール受けれる状況も多いと思う。

ゲームデザイナーというポジションはサッカーで言えばフォワードかセカンドトップだと思ってる。そして当時「リーグ優勝」してたFF11の開発チームでの自分のポジションは「リードしてる試合の後半ロスタイムに投入されるフォワード」だった。いてもいなくても良い存在だけど、たまに点取ってお客さん喜ばせたりはしてた。逆にドリブルで仕掛けようと思ったら簡単にボール奪われてしかもそこから失点したなんて時もあったけど、チーム勝ってるしそんな怒られなかった。

給料死ぬ程少なかったし、出番少ないしであんまいい環境じゃないと当時は思ってたけど、あれから数年以上色々なチーム見て来て、実はあそこまで自由にのびのびプレーできる環境って他にないと分かった。防戦一方のプロジェクトに配属された新人が全然スキルアップできないって光景も目にして来た。一方で僕はあの時覚えた思いつきで突き進む感覚や1人でフィニッシュまで持ち込む意識のおかげでキャリアアップできたと思う。

出場機会の少なさというのは1つのリスクだけど、トップレベルのプレーを間近で見て学べる事も多かったし、何より心身が消耗する事がなかったので、最初はそんなんで良かったんだと思う。いつまでもベンチスタートじゃだめなのでいい加減なとこで出場機会重視の移籍をしたけど。

好きな創作活動を仕事にするか他の仕事と両立するか



先月の話だがTwitterのタイムラインに流れて来た上記の投稿をRTした後、以下のような話をしたら思いのほかRTされたので意見をまとめることにした。

 

議論の前提条件

ここでは「好きなこと」とか「趣味」の種類を以下のように一定以上の専門スキルと時間を必要とするもの。また、それによって生活に必要な額以上の収入を得るプロ活動を成り立たせる市場や産業が存在するものに限定する。

絵を描く
漫画を描く
小説を書く
実写映画を撮る
CG・セルアニメを撮る
音楽を作る
音楽を演奏する
ビデオゲームを作る

上記以外にも産業化された様々な創作活動の形がある。

結論:できれば好きなことを仕事にした方が良い

理由はいくつかある。

1.時間は限られている

人生の時間は限られている。大半は仕事の時間が占めている。仕事として好きなことをやれれば明らかに好きなことをやれる時間が増える。

2.心身のコンディション

例えば、朝食後にすぐ絵を描き始めるのと1時間くらい電車で立ち続けて帰宅した後に絵を描き始めるのとどっちが良い絵が描けるだろうか?(もちろん、早起きして朝食前に描くという工夫も考えられるが。)また、平日に積み重なった疲れがどっと押し寄せる休日に朝から晩まで集中して絵を描き続ける事は出来るだろうか?出来る人は出来るのだが、それが出来る人は絶対にプロになれる。

3.スキルアップの機会

もし、自分のスキルが未熟だと思うならなおさら仕事にすべきである。お金を貰いながら先輩達から色々学ぶ事が出来る。例えばゲームが作りたいなら一度はプログラマーとしてゲーム会社に入ってみるのは悪くない。自分の好きなゲームのソースコードを見られるかもしれないし、それを作ったプログラマーから直接教わる機会があるかもしれない。

4.マスからの評価

マス相手に商売している会社の仕事だと、より多くの人に自分の仕事が届き、評価してもらえる可能性がある。もちろん同人活動でも多くの人に届く場合があるが、これが会社の仕事だと本当に容易にできる。マスからの評価というのは、良い評価でも悪い評価でも自分を大きく成長させる機会になる。

なお、他にも「制作に億単位の予算が使える可能性」というメリットがあるが、大抵の場合において企業として億単位の予算をかける場合は好きなように作れない事がほとんどなので「好きなことを続けるため」という観点からは重視しない。創作活動を好きに続けるという観点からは上記4つが重視する点である。

 

好きなことを仕事にしたつもりが何か違うという場合

しかし、好きなことを仕事にするつもりで関連産業に就職しても前述の4つのメリットを享受できない場合がある。

会社に入ると仕事の内容がずれる場合

例えばゲームデザイナーとして仕事するつもりでゲーム会社に入るとする。しかし日本の多くのゲーム会社には専任のゲームデザイナーというポジションはないのでプランナーという肩書きで就職する事になる。そして、多くの場合、新人のプランナーの仕事内容はゲームデザインよりも制作進行に関する雑用が多い。また、プランナーのキャリアパスの先にディレクターというポジションがあるが、それもゲームデザインのリーダーではなくて開発作業の監督である。先輩達からゲームデザインを学ぼうと思ってもそもそもゲームデザイナーとは言えない先輩達から学べるのは「コミュニケーションのマナー」だけだったりする。ゲームデザイナーとして必要なスキルを伸ばしたり実績を積むのは、実はゲーム会社に入ると難しいのである。

評価の機会が少ない場合

大手ゲーム会社、あるいはその下請け仕事が多い中小のゲーム開発会社に入った場合、数多くのステイクホルダーからの口出しによりゲーム開発のゴールがころころ変わり、その度に仕事のやり直しが発生してなかなか完成しないという事がある。それの何がまずいかというと、「自分の仕事の評価が一般のお客さんではなくて関係者の中だけで完結する状況」が長く続く事である。ポジティブな評価でもネガティブな評価でも作り手を真に成長させるのは一般のお客さんからの評価である。その機会を得る事なく関係者からああでもないこうでもないと言われ続ける状況は、スキルアップにもキャリアアップにもつながらない。

単純に待遇がブラックな場合

日本のゲーム会社やアニメ会社の給料は一般的にとても少ないし、個人に時間的な負担を強いる事で制作進行が成り立ってる事が多い。その結果可処分所得と余暇時間が少なすぎるのは非常にまずい。家族や友人や恋人との時間、あるいは1人で趣味に没頭する時間はどんな仕事にも必ず良い影響を与える。また、エンターテイメントを作る人は、ある程度遊びにお金を使う事で自分の創作物にお金を払ってくれるお客さんの気持ちを理解しないといけない。それがない生活は非常にまずい。

 

環境は改善できる

上記のように酷いケースがあるが、それでも仕事にするのをすすめる理由がある。それは一度仕事として始めてしまえば待遇や環境の改善がそこまで難しくないからだ。最も簡単に環境を改善する方法は、職場を変える事である。個人のスキルへの依存性が高い創作系の仕事は他の業種と比べて同業他社への移籍が容易である。また、その場合前職より給料の額が上がる事が多い。よく「少なくとも最初の会社に3年はいないとだめだ」と言う人がいるがそれもあまり関係ない。もちろんどの職場も3ヶ月で辞めてるという人は警戒されるが、どちらかと言うと「過去に何やったか」よりも「今とこれから何ができるのか」で採用を判断される。ちなみに僕の場合は8年間で収入は3.5倍以上になっているし、労働時間は明らかに減っている。振り返ってみると会社を変えたり独立したりクライアントを変えるたびに新たなスキルや知識を身につけてそれが収入の向上や環境の改善につながっている。エンターテイメント産業はブラックだと言われる事が多いが、多くの場合ブラックになるかホワイトになるかは自分次第だと思う。

情報を共有しよう

思いの他長い記事になってしまったので、引用したtwitterの発言にあった「有能な人は仕事を楽しむセンスがあるために自分の夢を忘れて現状に満足しがち」というトピックについては別の機会に話そう。創作系の仕事に興味があるけど実際に皆どういう生活してるのかどういう人生送ってるのか分からないから怖くて飛び込めない人が多いと思う。このblog記事がきっかけになってtwitterで様々なケースについて話されるようになったら本望である。記事についての感想や意見もtwitterで聞かせて欲しい。こういう記事は今後も書き続けようと思う。