ゲーム開発の友人、一條さんの一連のtweet。
おれの事業目的は「社会人になって創作をやめる」をいかに無くすかってことにありまして。特にゲームにおいては個人の創作活動を継続していける支援の仕組みが全然足りない。職業、補助金、業界全体のバックアップ、ないものづくしから組み立てていかないとならん。
— Ichijo (@Takaaki_Ichijo) 2017年7月10日
最も力を入れたいのは、個人創作と関連業務のバランスをクリエイターが決められること。全部趣味か全部仕事じゃなくて。たとえばイラストレーターさんなら、本の挿絵を受注しつつ、オンラインや個展などで自分の作品を売ることもあるだろう。そんな感じの選択肢を作る。 — Ichijo (@Takaaki_Ichijo) 2017年7月10日
「好きなものならどんなに忙しくても続けられるじゃん!」ってな、嘘よ。いくら好きでも泥のように疲れてたら何もできんよ。素敵なものを作る人がタフだとは限らんのよ。精神的パワがある人やチームだけが、社会人と同人を両立させて生き残ってる感じがある。
— Ichijo (@Takaaki_Ichijo) 2017年7月10日
腹立つのは個人ゲーム開発やろうぜって言ってると外野から「じゃあ起業して人生オールインしてね!!」とかのたまう人がよく見られること。それは単に1つの手段で、他にもやりようはある。いきなり全リスクしょえるほど覚悟のできる人間なんて一握りでしょ、起業起業うるせえんだよ — Ichijo (@Takaaki_Ichijo) 2017年7月10日
僕自身は2014年からはクライアントの理解を頂いて時間を作り、それまで稼いだ金を外注につぎ込んでオリジナルのゲームを作っているのだが、正直言って全く理想通りに行っていない。そのゲームの開発が自分の人生を豊かにしてるとはちっとも思えなくなった。方法を変える必要がある。
ゲームはとにかく作業量が多くて時間がかかる
ゲームが小説や漫画やイラストなどの他の創作物と比較して大変だと言うつもりはない。ただし、1つの作品を「商業レベルで」完成させるまでの作業量が他と比較にならないのは事実である。アート、プログラミング、サウンド、それら1つ1つの作業量の膨大さ、それに加えてゲームは楽しめるものでなくてはならない。ゲームプレイの検証を繰り返し、場合によってはせっかく作ったものを捨ててまた1からやり直すことも必要である。時間と予算の制約の中で作業に追われるとどうしてもその検証がおざなりになりがちだ。もしフルタイムの仕事に就いて週末だけに作業をするとなると1つのゲームを完成させるのに5年はかかってしまうだろう。実際に海外のインディーゲームの人気作品の中にはそのようなものが目立つ。そのような時間と苦労を経てゲームを完成させた結果、多くのゲーマーから評価され、商業的にも成功するのは一見素晴らしいストーリーだが、一生の間にいくつのゲームを作ることができるか考えると、5年という数字はリスクとして無視できない。
作品の発表は人生を豊かにする経験
それが仕事だろうと趣味だろうと、ゲームや漫画や小説や音楽を作ることは人生を楽しむ手段である。作品を完成させて発表して知り合い以外の多くの人たちから内容についての感想や評価を得ること。それは1つの社会参加の形であり、専門的な技術者としても1人の人間としても、その経験から得られるものは大きい。pixivやtwitterがプロ/アマ問わずイラストレーターや漫画家の成長の場になっているのは言うまでもない。一方で1つの作品を完成させるのに時間がかかるゲームの場合、作品の発表の頻度はどうしても減ってしまう。5年かけてようやくリリースした作品がクソゲーと言われたり小遣い程度の収入にもならなかった時、同じようにまた5年かけて挑戦しようと思えるだろうか。
じゃあ小さいゲーム作れば良いのか?
本当に作りたいものがそれなら良い。時間の制約、予算の制約の中で本当に自分の好きなものを作れるのは相当なセンスや才能のある人だろう。実際にそういう人はいる。しかし大抵の場合、ゲームという表現形態を選ぶからには一定以上の作業量を必要とするものになるだろう。少なくとも僕にとってはゲームは大きいものだった。作り始めた頃は半年くらいで完成させるつもりだったが、細部の作り込みがあって初めて表現の核心が浮かび上がるようなゲームを作っていることに後から気づいてしまった。
収入を減らして時間を作れば良いのか?
結論から言うとそれでもまだ時間が足りなかった。2014年から開発を続けてるゲームがいつになっても完成の目処が立たないため、昨年からクライアントにお願いして仕事の時間を大きく減らし、自分のゲームを作る時間を増やした。また、契約の終了後もしばらく次の仕事を入れずに、自分のゲームに集中した。しかし、完成する前に資金が尽きてしまった。また、そのように収入を減らした状態をずっと続けるわけにも行かず完成を急いだせいで、ゲームプレイの検証がおろそかになった。2014年からそれまで稼いだ金を外注につぎ込み、自分の作業時間を作るためにギリギリの収入で生活を続けたことで、今となってはそのゲームの開発に対しては苛立ちしか感じなくなってしまった。本当にこんなことがしたかったのだろうかと自問自答する。
仕事として金をもらってゲームを作れるのは幸せな事
自分のゲームは引き続き作っているのだが、最近、新しいクライアントと新しいゲームを作り始めている。自分のゲームとは全然ジャンルもターゲットも違うし、クライアントのディレクションに従って作るわけなのだが、これが意外と楽しい。久々にゲームデザイナーとしてのアイデンティティを認められてる気がする。ディレクターが僕が仕事しやすいように配慮してくれてるのもあるが、多分楽しいと感じる一番大きな理由は、最初から完成の見えたプロジェクトだということ。事業としてのスケールとスケジュールが決まっていて、まともな開発会社をアサインするならスケジュールから大きくずれることはない。事業という形が与える安心感や精神的充足の価値を再認識した。結局のところ自分のゲームの開発は、プロジェクトの進行の全てが自分に依存しているのにその自分は完成するまでお金を生み出さないそのプロジェクトに全てを捧げることができないという中途半端さに問題があった。今後は、事業として資金調達や共同開発などの形でプロジェクト進行の責任を他社(他者)と分担した上で、ゲームデザイナーとして自分の作りたいゲームを作れるように努力しなければならないと考えている。その布石として、実は9月にデンマークで行われるアクセラレーターに参加予定である。
考える時間はあった方が良い
結論としては「ゲームは作業量が多く時間がかかるから資金調達などして100%コミットできるようにしよう」って話なのだが、最初に紹介した一條さんの意見に反対しているわけではない。僕がこのような結論に達したのも、一條さんが提案してるようなことを3年近く続けた上での話であり、他社との契約の仕事と自分のゲームの仕事を並行することで視野が広がったとも感じる。毎月200時間仕事するような会社員生活を辞めた次の瞬間に起業して資金調達ってのは難しいだろう。準備する時間が必要だ。仕事を選んだり、適切な距離感を保って少しずつ自分のやりたいことに傾倒していけば良いと思う。人によって作りたいものも全然違うし、自ずとそれに適したスタイルも違ってくる。一條さんが言ってるのもそう言ったスタイルの多様性を許す環境であって欲しいという話である。
以前書いたこちらの記事も参考にして欲しい。
好きな創作活動を仕事にするか他の仕事と両立するか
また、一條さん交えたパネルディスカッションのまとめも。
作りたいものを作ることとそれを持続させること。日本のインディーの未来
日本のインディーゲームの状況に関しては決して楽観的ではない意見が多かったように思える。それでも登壇者たちがいわゆる「インディーゲーム」にこだわらず、作りたいゲームのために多様な開発スタイルを模索していく姿は逆説的に極めインディーゲームらしいと感じた。
そうだね。