ゲームデザイナーとして独立して5年

株式会社degGの創設は2010年6月30日なんだけど、その1年前には個人事業主の開業届を出していたので、独立してからもう5年続けた事になる。5年というのは長い。この間に経験した事、分かった事が色々ある。

最初はやばかった

最初の1年半くらいは全然仕事なくて収入が激減した。理由は3つあった。

  • スキルが低かった
  • クライアントに常駐する仕事は絶対やらないと決めていた
  • お金にならない企画に時間を費やしていた

独立に必要だったスキルとは・・・

それは自分1人でゲームやアプリを作れちゃうスキル。それがあれば当時は1人で出来ちゃうようなサイズのiOS用のゲームの開発案件なんていくらでもあった。そのスキルがないのに独立した理由は、ゲーム会社の「プランナー」なんてやっていてもゲームデザインの経験や実績を積めるとは思わなかったから。とりあえず独立した時点で自分に出来る事は

  • 図入りの企画書やゲームデザインドキュメントや仕様書を書くこと
  • レベルエディタ等ツールを使ってゲームコンテンツを作ること
  • 簡易なプログラミング言語(スクリプト)でゲームコンテンツを作ること

くらいだった。しかし驚くなかれ、独立する前にいたコーエーという会社ではこれだけで高スキルとみなされたのだ。

最初に常駐仕事を選ばなかった理由

まず独立したきっかけは、GDC2009で知り合ったカナダのインディーディベロッパーの仕事をリモートで手伝っていた事だった。それを続ける前提で独立した。いくら安定して稼げると言っても業務委託契約でクライアントのオフィスに常駐するのは派遣社員と何ら変わらない、独立する意味は全くないと考えていた。とにかく会社にいたら絶対にできない事をしたかった。そのカナダとの仕事がずっと続けば良かったけど、一段落した時に収入が途絶えてしまった。それと当時は円高でカナダドルで振り込まれた報酬を両替するとたいした額にならなかった。そのカナダとの仕事以外にも自宅でできる面白い仕事はあったのだが、小額の成果物単位での契約だったので収入は安定しなかった。やはりスキルが限定されていた事が問題だった。

あまり意味のなかった中途半端な起業ごっこ

最初に大きな失敗があったとしたらこれだった。何をしていたかというと当時興味があった人材育成に関する事業企画をゲーム開発ツールのメーカーさんやゲーム専門学校さんに提案していた。持ち込み企画なのでまずは試しにと自分の報酬はなしで実現させた企画もあったが、結局後が続かなかった。何故そんな事をしていたかというと、単純にゲームを作る事以外に収入を得る方法があるのか試したかったのと、自分が中心となって企画を進める起業家気分に酔っていた。本当はとにかく自分のゲームが作りたい癖に、ゲームの企画が通らないからって代償行為をしている事に当時の自分は気付かなかった。

そして震災がとどめを刺した

そんな調子でもMobage/GREEブームのおかげで2010年から2011年にかけてゲーム業界外のクライアントさんから小規模なガラケー用ゲームのゲームデザインの仕事が入って収入が安定し始めた。それと並行して大手ゲームパブリッシャーに提案するアーケードゲームの企画を間に入った開発会社さんと一緒に進めていた。そんな感じで収入は少なくとも安定して仕事を続けていたのだが、あの地震で全てがなくなってしまった。まず、Mobage用ゲームの仕事は内容が「日本崩壊」を題材にしたものだったのでお蔵入りに、そして大手パブリッシャーさんのアーケードゲームの方もそのタイミングで白紙に戻ってしまった。というわけで震災でほぼ全ての仕事がなくなってしまった。

震災からの復興は亡き恩人とUnityがもたらした

2011年の5月くらいまで、家に引きこもってお菓子を食べて映画やドラマを見る生活を続けた。そうしながら新しいゲームの企画書を複数作ってパブリッシャーさんや開発会社さんに見せてたのだが、反応はいまいちだった。そこでもう企画の提案は断念した。そしてもうゲームの仕事自体廃業して近所で英語の先生でもやろうかと考えていたところ、今年1月に亡くなられたモバイル&ゲームスタジオのプロデューサー宮田大輔さんより「Unity詳しいですよね?ゲームじゃないけどUnityでスマフォアプリを1つ作る仕事があります。1人で作れますか?」と仕事を頂くことができた。Unityは独立直後の2009年に仕事で初めて触れて以来、個人的にフリー版を触り続けてはいたのだが、まだ本格的に製品レベルのプログラムをまるごと作るまでには至っていなかった。C#のコーディングができなかったのである。しかしこの仕事をきっかけにC#のコーディングスキルを身につけ1人でゲームが作れるようになった。これが次の仕事である「バーコードフットボーラー」に繋がったのだが、間違いなく自分のキャリアの転機となった仕事であり、宮田さんに対する感謝は忘れていない。恩返しできなかった事が本当に残念でならない。

Unityが仕事のスタイルを変えた

UnityでC#のコーディングができるようになって何が変わったか。それは企画書やゲームデザインドキュメントやその他細かい仕様書を書くより早く動作するプログラムをプレゼンできるようになった事だった。また自らの手で実装を進められる事によりイタレーション(テストプレイ→修正→テストプレイの繰り返し)の精度と速度が上がった。その成果が出たのが「バーコードフットボーラー」だった。このゲームのチーム編成機能や試合部分の基礎と、試合結果を見せるカットシーンを作るためのエディターはあっという間に出来てしまった。そのため開発後期にカットシーンの作り込みや試合ロジックのイタレーションにまた時間を割く事ができた。今でもこのゲームのアップデート開発を続けているが、コンテンツを考えた自分が実装も担当する事によって、ゲームの運営において次々と上がって来る要望に対する即応性が担保できていると言える。

やらないと決めてた常駐仕事を請けた

さて、「バーコードフットボーラー」は当時の主幹開発会社であった株式会社たゆたうさんが僕のことを「Unityが使える人」とTwitterで見つけた事により始まったのだが、開発末期になると僕の仕事が減って来てしまった。そこでたゆたうさんから「新しいプロジェクトを始める、それは密度の高いコミュニケーションが要求されるので常駐して欲しい。常駐すればバーコードフットボーラーの仕事も続けられる。」と声をかけられた。それが「ファイナルファンタジー アギト」だったわけだが、二つ返事でOKして、たゆたうさんから徒歩5分くらいの所を借りて平日だけそこに住み、週末に船橋に帰るという生活を始めた。常駐仕事は断り続けて来たのにOKしたのは

  • スクエニをやめる時に「またいつかFFの仕事をしよう」と思っていたから
  • 一時的にやりたい事我慢してでもまとまった額の契約でお金をためようと思ったから
  • FFアギトと並行してバーコードフットボーラーの仕事もしやすくなるから

という理由からだった。結果たゆたうさんの社内で良い出会いがあったし、FFアギトでは良い仕事が出来たと思うし、リリース後のバーコードフットボーラーに対してもより大きく貢献ができて成功につながったと思う。

皆で同じオフィスにいなくてもクオリティの高い仕事はできる

たゆたうさんへの常駐は2012年9月から2013年11月まで続いた。まとまった額の報酬もそうだし、得るものは大きかったのだが、逆にそれ以上の期間続けるとリスクに対するリターンの割合はどんどん低下すると思った。やはりオリジナルゲームの開発を進めたい自分にとって常駐というのは犠牲にするものが大きい。そして自宅での仕事を再開して思ったのは、仕事のクオリティを高めるために常駐しきゃいけない理由はないという事。常駐を要求される主な理由はコミュニケーションの密度の問題なのだが、正直言ってコミュニケーションの頻度やその質というのは個々人の意識に依るところが大きく、近くにいるか遠くにいるかはあまり関係ない。どうも日本社会においては「対面コミュニケーションはテキストの交換に勝る」という思い込みが蔓延しているようだが、結局のところゲームにしろその他プログラム開発にしろ文書によって情報を共有する意識の低いチームは失敗する。その意識の低さに対する自覚なしに「リモートだと意思の疎通が難しい」という人が多い。それに対しては今後もNOを突きつけて、リモートでの仕事を続けさせて頂きたいと思う。ちなみに今オリジナルゲームのためにある会社さんにキャラクターデザインを発注しているのだが、アーティストの方と一度も顔を合わせなくても素晴らしいキャラクターデザインが上がって来る事に感激している。これは本来当たり前の事であって、リモートでの仕事を否定したら海外へのアウトソーシングも全然できないわけだし、もう少し業界全体として理解を進めて行って欲しいと願う。

オリジナルゲーム開発の課題

しかしこの5年でオリジナルゲームを1つも出せなかったのは残念な結果として反省している。そもそも始められなかった理由は資金の問題だったが、プログラミングや一部グラフィックスの作業等自分でできる事が増えた事によって必要なお金は減って来ている。また、そもそもお金をかけなきゃ面白くならない(売れない)ようなゲームしか考えつかないことに問題があったので、最近はとにかく手持ちのお金で作れるもの、それでいてちゃんと面白くできるものを考えるようにしている。

大事なことは全て無視。超大事なことにだけ集中する。

オリジナルゲームの開発規模をどう縮小していくかという話に繋がるのだが、この5年で学んだ大きなことは主に

  • ゲーム開発は数多くの大事なことの中から超大事なことだけを取捨選択する仕事である
  • 自分にとって超大事な事のために独立したのを忘れるな

という事。結局、当初の失敗というのは本当にやりたい事忘れて微妙なことに中途半端に手を出していた事だし、未だにオリジナルゲームを出せない状況というのもいつ作れるか分からないゲームの夢を追い続けることと今作れるものをすぐに作るのどっちが大事だって話になる。後者の方が超大事って結論が出たので今年中には何かしらリリースするつもりでいる。

独立は楽しいよ

最初の2年は回り道だったけど、この5年で得たものはあのままゲーム会社の社員やってたら絶対に得られなかったと思ってる。収入は確実に増えたし、着実に自分の目標に近づいてる実感がある。もし会社員としての今後のキャリアに悩んでる人がいたら独立をすすめる。意見感想があったらtwitterに寄せてほしい。

 

 

 

 

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