39歳になった。

昨年から毎年誕生日に今やっていることや思っていること、一年前と比べて変わったこと、この一年間にあったことなどについて書くことにした。

39歳という年齢について

 
30代最後の歳。1年前は「肉体的な老化が全く進まない」と書いたが、体力の低下を少し実感するようになって来た。また、客観的な評価として40歳になったら色んなところで言い訳が効かなくなる。それだけ40という数字は大きい。多分40代への準備をする歳になると思う。ただ、何かを諦めることとは同義ではないと思っている。

開発に参加したゲームが1つリリースされた。

ちょいちょいドラえもん」というカジュアルなパズルアクションゲーム。
ゲームデザインとレベルデザインで参加した。特にリリース時に実装されたレベルのほとんどを1人で作ったが、そこまで集中的にレベルデザインをするのは久しぶりの経験で面白かった。

会社で1人雇用した。

業界未経験のゲームデザイナー。一昨年末に無償のインターンでの研修を続け、昨年8月から業務委託契約で上記のちょいちょいドラえもんのレベルデザインに参加して貰って、4月から社員として入社して貰った。その人と出会ってから採用についての考え方が大きく変わった。それまでは自力でUnityやプログラミングを学んでインディーゲームを作ってるような人を優先的に採用したいと思っていたが、今ではそのような経歴でさえ学歴と同等の評価軸の一つでしかないと思っている。(無論、学歴と同様には評価する。)ゲームデザインは、ロジカルなサイエンスであると同時に、人の感情の機微を取り扱うアートでもある。そのような複雑さに対する適性は1種類の能力や実績で測れるものではない。その社員の能力を一言で表す言葉を僕は知らないが、強いて言えばゲームが作れると判断した。それは可能性があるかもしれないと言った話ではなくはっきり断言できるレベルで。残念ながら弊社にはまだ「可能性があるレベル」の人間を雇用する余裕はない。今はクライアントの仕事をしながら空いた時間に自身の企画で1つゲームを作って貰っている。

最近やってる仕事。

 
クライアントの仕事をやりつつ、プロデューサーとしてまたテクニカルディレクターとして先述した社員のゲームをサポートしている。そのゲームを確実に完成させてリリースしたいため、自分自身のゲームの企画は一旦保留している。人の作品を俯瞰する立場になって、初めて自分の過去の失敗の原因が見えて来たりもする。自分自身が企画や開発から離れるつもりは全くないし、今やってることは自分の次の作品に繋がると思っている。また、クライアントの仕事でもUnityのC#のコードを書く時間は明らかに減ったが、例えばCity Engineで広大かつ軽量な都市景観モデルの自動生成スクリプトを書いたり、それをインポートしたUnityのシーンを最適化したりテクニカルアーティスト的な仕事をしている。仕事のジャンルや立場がどんなに変わっても技術と離れることはないと思っている。

批判的な意見について思うこと。

 
一般的な意味で仕事というのは型に嵌めることだと思う。けどゲームを作る仕事というのは、最初に企画が必要で、企画というのはその時点では仕事の型に嵌らない。好きなものを作るのが正しい時には趣味との境が曖昧になる。そういう形のないお金にならないことをやっていると「遊んでる」とか「ふらふらしてる」とか身近なところから批判的な意見が聞こえる。で、1年前ならそういうのは100%無視したが、今だと「あなたの価値観であなたの好きな言葉を使って表現する限りはそういう話になるんだろう。」と理解した上で受け入れることとしている。受け流すのとも違う。とりあえず受け入れる。何も分かっちゃないなあとは思うけど、評価というのは常に他人から下されるものであり、また常に適切な理解が伴うとは限らない。それは仕事という公的な活動をする限りどこまでもついて回る。特に今は1人の社員がいて、金融機関からも融資して貰って、もう会社は僕だけのものじゃなくなっている。

MANOWARのジョーイ・ディマイオと会って話をした。

後に公式に撤回されたが一番好きなヘヴィ・メタルバンドのMANOWARが今度のツアーでバンド活動を終えると言ってたので4月のコペンハーゲン公演を観に行った。それだけでなく、日本円にして24万円ほどのUltimate Fan Experienceというアップグレードチケットを購入した。これによって楽屋で憧れのジョーイ・ディマイオと会えることとなった。
彼と初めて会って何より驚いたことは、彼がとても物腰が柔らかくて紳士的だったこと。憧れのスターを前に緊張した僕に対する気遣いというものが伝わって来た。MANOWARは日本と海外での人気に落差があるため、2014年以来全く来日の機会がない。来日の可能性について話すと「君みたいなコアなファンが署名を募ってプロモーターに働き掛けてほしい」と言っていた。Twitterなど見る限りMANOWARへの関心があまりにも低い状況でいきなり署名運動をして効果があるとは思えないため、やるなら戦略的に行いたいし他の方法も検討した方が良いとは思うが、とりあえずMANOWARの来日実現のために何らかの力添えするというのは一つの使命として承ったつもりである。必ず何かはやろうと思う。

映画館に行くようになった。

 
映画好きの母が色々と公開中の作品を見つけては誘ってくれるようになったこともあり、映画館に行く頻度が増している。
昨年観た新作のリストはこちら
こうして見ると昨年はそこまで多くないのだが、今年は明らかに昨年を上回りそうなペースで観に行っている。
今の所海獣の子供が今年のベスト作品候補。

音楽を作っている。

ジョーイ・ディマイオとの面会で触発されたこともあるが、音楽に割く時間が増えている。自分のゲームの企画を保留してることもあり、金になるかどうかは関係なく何か確実に自分1人で完成させられるものを作りたくなった。そしてそれはゲームではなく音楽という結論に至った。ギターは13歳から弾いてるが、この歳になってようやく指板の上に音が見え始めるようになった。音作りやミックスの勘所も分かって来た。年内には10曲以上まとめて発表できると思っている。音楽を続けているおかげで仕事で上手く行かないことがあっても、充足感を忘れずに日々を過ごすことができている。

次の1年でやりたいこと。

最近フットサルに誘われるようになったので継続して参加したい。また、読書の時間をもっと増やしたい。

38歳になった。

7月2日に38歳となった。これから毎年、誕生日に今やっていることや思っていること、一年前と比べて変わったことなどについて書くことにする。何年か経ってからまとめて見返すと状況の変化や価値観の変遷が確認できると思う。

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最終的に得られた物は何か〜デンマークでのアーティストインレジデンス体験記(4)〜

デンマークのアーティストインレジデンス体験記第3回(バックナンバー:第1回第2回第3回)
当初の締め切りであった5/15は過ぎたが、日本時間で土曜日の16時まで締め切りを伸ばしたらしいので、迷ってた人は応募して欲しい。締め切りを伸ばすということはもう少し応募者が欲しいのであろう。既に何かを作ってる人ならば応募に必要な5ページの企画書も1日で準備できるはずだ。(おそらく内容の大半はストーリーボードやスクリーショットになるだろうから。)

個別面談で分かった新たな課題

最終日のピッチが終わると、あらかじめ希望していた2人の審査員と個別面談ができた。まずは大手パブリッシャーのヨーロッパ支社のビジネスデベロップメントマネージャーから。海外では評価の分かれるトゥーンシェーダーのキャラクターについての感想を聴いたら、好印象だったようだ。「ノーモアヒーローズ」や「キャサリン」を思い出させると。(こういうことがあるとトゥーンシェーダーのゲームで海外市場を開拓してくれた先人達に敬意が湧いてくる。)また、ピッチの中ではあえて予算を見せなかったのだが、僕が想定していた1億円以上の予算については、「インディーでもこのくらいは当然。5億円かかってるゲームもある。」という反応だった。ただし、ゲーム内容にはついてはSteamで埋もれない特徴がもっと欲しい、また今回でっち上げたようなスクリーンショットじゃなくて実際のゲーム画面のグラフィックスを観たいということで、引き続き連絡取り合うことにした。次に会ったのは北欧の映画向け投資会社のゲーム部門の担当者だった。この方もやはり同様にゲーム内容についてもうちょっと知りたいとのこと。これはプロトタイプも見せられないんじゃ当然の反応だと思う。そして「既に何かリリースしているチームを探している」と言われた。僕はこれに該当しない。「そもそもチームを作るお金もないのだ。」と言ったら「無償で参加してくれる友達を見つけるんだ。」と言われた。これは身も蓋もないと感じたが、そもそもインディーゲームというのは友人同士の活動から始まると考えると当たり前の感覚なのだろう。しかし、僕のような株式会社として最初からビジネス目的でやってるとどうしても「無償で参加して欲しい」とは言えない。会社の仕事と完全に切り離してまずは余暇活動として始めるという手もあるのだが、それが出来るのは20代前半のうちだろうなあと感じる。とは言え、最初に話した大手パブリッシャーの人も「今は一人で作ってるのか?」とその辺のことを気にしていた。確かに、投資する側としてはチームとして最後まで作りきれる体制になってるかはリスクとして重視するだろう。会社に人雇ってチームというものを作らなきゃいけない、人を雇うためにこれまで1人でやって来た仕事を複数人の仕事にスケールアウトして行かなきゃならない。まずはそれからだ。それまでずっとDIY精神で1人でやって来たところから大きく価値観と方針が変更された。自分のプロジェクトについてすぐに資金調達とならなくても、これでデンマークまで来た意味があったというものだ。この日の夜には、審査員が選んだ受賞者の発表があった。僕は選ばれなかったが、それは大した問題ではない。余談だが、授賞式の後のパーティで審査員の1人だった日本の某有名広告代理店の方が「僕が興味を持った作品は最終的には選ばれなかった。選ばれなかった作品にも良いものはある。」と言ったので、「受賞することが目的じゃなくて最終的に資金調達できるかどうかなので、継続的にやるべきことをやるだけですよ。」というようなことを話したら、「必要な努力が違うのは分かる。けど資金調達目的とした仕事は続けながらも、ここではここ用にウケるもの用意して受賞もできちゃったらそれはカッコいいんじゃない?両方目指しても良いんじゃない?とても難しいことだって分かるけど。」と言われた。皆が知ってるあの会社のパワーを垣間見た気がした。特徴的な社風とか僕と絶対合わないと思うけど、その「総取り」の精神は見習いたいとは思った。

帰国の前日は半日オフだったのでとにかく色んな所を歩き回った。本当に住みたいと思わせる街。

アニメーションフェスティバルの目玉となった手塚治虫展。日本のアートが尊敬されていることを忘れてはならない。先人たちの努力を無駄にしてはならない。

「この世界の片隅に」の展示

街の名物である大聖堂の中

その大聖堂に隣接するギャラリーではガンダムのコンセプトアートの展示。これは嬉しい。

結局今は何をしてるのか

 
実の所、帰国してから自分のプロジェクトは全くと言って良いほど進んでない。契約している他社プロジェクトの仕事に意識を集中させていた。それも絶対に失敗するわけにはいかない。前に作ってたゲームを開発中止にしたことなどの影響により、会社の財務も酷い状況になっていたので、それを整理することに時間を割いたりもした。また、1人でやってた会社をチームとして編成するためにインターンの募集してその指導にあたっていた。そして最近ようやく少しずつまたプロジェクトの方に時間を割けるようになった。なかなか道のりは遠いが、前のプロジェクトと違って焦燥感はない。以前はUnityですぐにプロトタイピングして、それがすぐにゲームとして完成するかのような錯覚に囚われていたのだが、心落ち着くデンマークのあの環境の中で、焦らずに企画の段階からじっくり考えること、様々な検証をすることを学ぶことができた。この記事を書いてるたった今決まったことなのだが、今年のNipponNordicにはスタッフとして参加できることになりそうだ。そこでも昨年と同様にパブリッシャーと出会う機会があるはずなので、今度こそはプロトタイプを見せたいと思っている。チーム編成についてもArsenaletに入居しているフリーランスのアーティストやThe Animation Workshopの学生の中に一緒にやれる人がいないか探してみるつもりだ。将来的にViborgに支社を作るつもりで、継続的に関係を深めていきたい。このようにアーティストインレジデンスの経験は、その場で完結するものではなくその後のキャリアに長期的にポジティブな影響があると思う。もし今年の応募に間に合わなくても、これを読んで興味を持ったなら来年への参加もじっくり検討して欲しい。時間を割いて4回に渡って書いたこの体験記が誰かの役に立ったら幸いである。なお、当時のTwitterのログを見ると向こうでの暮らしぶりなど参考になると思う。ここに載せなかった画像も見られる。

英語でのピッチを何とかした話〜デンマークでのアーティストインレジデンス体験記(3)〜

デンマークのアーティストインレジデンス体験記第3回(バックナンバー:第1回第2回)
今年度の応募締め切りまで数日もない(5/15追記:5/18まで延びたらしい)が普段から創作活動をしている人なら応募に必要なマテリアルは1日で揃うはずだ。既に応募した人もこれからの選考の参考にして欲しい。
第1回ではこの企画に応募して選考を通るまでの話と現地で1週目を過ごす話、第2回は他の参加者についてと2週目に受けたコンサルの話をしたが、今回はいよいよ渡航の最終目的であったピッチ(プレゼン)の話。ただ、今年の応募者の事を思って内容を考えていたらその義務感から少し気が重くなって来てしまったので、まず書きたい事について書く。

デンマーク、Viborgでの生活について

 
第1回でもこの話をしたが、ピッチについての話をする前に改めてデンマークそしてViborg市という環境について話をしたい。2週目も終わる頃にはすっかり現地での生活に慣れてきていた。講義を聞いたり自分の仕事をするThe Arsenaletと宿泊するホテルの周辺にはスーパーマーケットが3つもあったので日常的な買い物に困ることはなかった。文化水準が高く治安が良いので夜遅く歩くのも心配はなかった。Arsenaletからの帰りに閉店間際のスーパーマーケットによったついでにふらふら散歩することもあった。雨の夜なんかに古い建物が並ぶ誰もいない通りを歩くと本当に幻想的な雰囲気で自分が今そこにいるのが信じられないような気持にもなった。この国の習慣としてスーパーマーケット以外はたいてい18時くらいに閉まってしまうので土産物を探すのに少し不便に感じることもあったが、おかげで夜はいつも静かだった。(ただし、金曜日の夜は騒いでも良いという暗黙の了解があるらしく窓を開けて大音量で音楽を流してる家も見かけられた。Arsenaletでも毎週DJブースで大音量で音楽をかけていた。それにしてもそれが目立つくらいには静かだった。)土曜日は15時くらいはたいていのお店は閉まってしまうし、日曜日にいたってはほとんど営業してない。それでも経済は成り立っている。そういうの見ると東京の喧騒っていったい何なんだと思ってしまった。こっちではイライラしてる人など見かけないのだ。とても大きなベビーカーに双子か年子のきょうだいを乗せた親たちと何度もすれ違う。ここではベビーカーを邪魔もの扱いするなんて発想は誰にもない。
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宿泊していたホテルの前の通り。夜も綺麗なので遅く帰っても疲れた気がしない。

日本での暮らしを振り返る時間

 
2週目の土曜日にNipponNordicの運営を取り仕切るプロジェクトマネージャーのClemanceが自動車を1時間くらい運転して皆を海まで連れて行ってくれた。(彼女は選考における面接の相手でもあったが、英語があまりできない僕の個性や企画の可能性を信じてくれて最初から最後まで全面的にサポートしてくれたことを本当に感謝している。)現地で合流したThe Animation Workshopの校長のMorten Thorningらと一緒に静かな海岸を歩き続けると、Mortenが海を指さして「アザラシが見える」と。遥か向こうの海面に頭を出したり潜ったり繰り返してる物が確かに見えた。北欧ならではの光景だ。そしてMortenの別荘に招待して貰った。(このデンマークの別荘地というのが軽井沢の別荘地に雰囲気が似ていて逆になつかしさを感じたりもしてしまったが。)彼の別荘の庭でリンゴをむしって食べ、家の中では坂本龍一の曲聴きながらコーヒーを飲んだ。これまでの人生で最も平和な時間。そこで日本での自分の仕事とか暮らしについて思い出してしまった。日本のゲーム業界で10年以上仕事をして来た。ファイナルファンタジーのような世界的に有名なIPにも携わる事ができたし、確かにスキルアップできたと思う。僕はゲームデザインができる。Unityが使えてC#でコーディングができる。だからどうした。日本のゲーム業界の異常な競争の厳しさの中で僕に芽生えたのはリスクへの防衛反応から来る批判的な精神と異常な緊張感から来る攻撃性ではないだろうか。そのようなToo Competitiveな環境の中で夢を実現できたかというとそうではない。だからデンマークに来た。そのうえ日本のゲーム業界ときたらこれから縮小するに違いない国内市場を取り合うために熾烈な競争を繰り広げてる。(スマフォゲームの張り付き運営というのは日本でしかなない事だ。)オフィスでもTwitterでも毎日繰り広げられるマウンティング合戦。飽きた。この別荘でのMortenとパートナーの女性からのもてなしから感じたのは、純粋な善意だった。これも初めての体験なのだが、帰り際にハグした時に、何か熱いものが体の中に入ってくるのを感じた。これが「気」というものか。物理的に存在するわけではなくても、僕がそう感じてしまう何か。そしてそれは日本にはない。
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海の近くの街。どんな田舎に行っても綺麗で文化水準の高さを感じさせる。

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海に行く前にこの街で昼食。いかにも北欧という店内。

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バンズの上側がないバーガー。見た目も良いしまた美味しい。

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軽井沢に似た別荘地。

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風情ある別荘。

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コーヒーを飲んでる間そばにいてくれた猫。

第3週〜そしてピッチへ〜

 
そして3週目が始まるといよいよピッチ(プレゼン)の最終準備に入った。この段階では企画内容に新しい要素を一切追加しないようにと念を押された。僕もこれまでのゲーム開発の仕事や、CEDECなどでの発表経験からそれは理解していた。仕上げの段階では仕上げることだけに集中しなければならない。ピッチの基本的な約束ごとやテクニックについては、言わずと知れた国際アニメ映画祭アヌシーと商談会MIFAのスタッフGeraldineと、Sunny Side of the Docというドキュメンタリー作品商談会のスタッフIremが来て指導してくれた。両者とも多額の予算を動かすようなピッチをずっと観て来た人物だ。ピッチは金曜日にあったのだが、水曜日の夜には審査員がViborgにやって来て少し懇談することができた。その中にはずっと前から知っているUnity Technologiesの大前さんもいた。日本から遠く離れた所で知ってる人と会えるのはやはり嬉しいものである。しかし、その夜は2時まで残ってピッチの内容を仕上げるのに悩んでいた。そして翌日、GeraldineとIremの二人の前でピッチのリハーサルを行ったのだが、驚くことに「パーフェクト。内容については何も言うことはない。」と言って貰えた。正直ほっとした。CEDECやUniteに登壇して来た経験がここに生きて来た。一点、ゲームのテーマを印象付ける「決め」のセンテンスだけ、二人の他に色々な人の意見を貰って直す事にした。仕上げる事だけに専念していたからこそ最後の最後で細かい調整ができた。これはゲーム開発と一緒だ。また、英語で話すのがそこまで得意じゃないので原稿を綿密に用意してそれを全て暗記する事にしていた。原稿はいざという時のためにKeynoteの講演者ノートで見られるようにしているのだが、とにかく読まない。見ない。必ずオーディエンスの方を見て話すようにしてた。もしあるセンテンスを忘れてしまった時は、読まないで飛ばして次のセンテンスから話し始めるようにした。そして本番当日。大前さん以外のゲーム業界関係者は某大手パブリッシャーのヨーロッパ支社の人やArsenaletに入居する人気スマフォゲームを作ってる会社の人、北欧中心に映画に投資している会社のゲーム担当の人などがいた。それ以外はアニメ関係者や、地元デンマークが誇るLEGOの人など。このLEGOの人が水曜日に初めて会った時も声かけてくれたし、ピッチの後の質疑応答でも食いついて来てくれた。本番は特に問題なくリハーサル通りに進めることができた。この後には、あらかじめこちらから希望した2名の審査員との個別面談があった。僕は大手パブリッシャーの人と投資会社の人を選んだ。どちらかというとそっちを待つ間の方が緊張していたと思う。面談の内容についてはまた次回。

個性豊かな参加者達と価値あるコンサル体験〜デンマークでのアーティストインレジデンス体験記(2)〜

デンマークのアーティストインレジデンス体験記第2回(前回記事はこちら)
今年度の応募締め切りまで10日ほどだが興味のある人は応募して欲しい。1週間あれば間に合うはずだ。

参加者について

さて、前回は応募して選考を通過して現地で第1週を終えるまでの話だったが、僕以外の参加者について何も話していなかった。日本人及び日本在住外国人参加者枠には、芸大の大学院等で制作に取り組んで来たようなアニメーション作家が多かった。そのような人材の中には日本の有名スマフォゲーム会社で働く中国人のアニメーション作家もいたし、コロンビアから留学して来た作家もいた。また、オランダやスウェーデンやLA等海外在住の日本人アーティストもいたし、僕のように留学も経験せずずっと日本の中だけで仕事してる人間は珍しかった。(そんな僕でも選考に通ったわけだし応募の際に考慮する必要はない。)デンマーク側の参加者は必然的に地元のThe Animation Workshopの学生や卒業生が多かったが、既にインディーゲームシーンで知られるような作品をSteamでリリースしたインディーディベロッパーの社員2人組もいた。

金曜日の夜の様子。他の参加者やArsenaletの入居者と交流する時間は充分にあった。

金曜日の夜の様子。他の参加者やArsenaletの入居者と交流する時間は充分にあった。

日本人も日本在住外国人もデンマーク人も全体的にノリが良くフレンドリー。中には大人しい人もいるがそれでもフレンドリー。選考を潜り抜けてここに来ただけあって、皆余裕があり、お互いをリスペクトし合っていた。デンマーク人の参加者の中にメタルという共通の趣味を持つ人がいた事もあり、英語が上手くしゃべれない僕でも1週目を終える頃には打ち解けることはできた。また、面白いことに1週目のUnityのワークショップの時に、僕が一番Unityに詳しいという事で日本の参加者達から「師匠」と呼ばれるようになり、以後その呼び名は帰国してからも定着する事となる。

 

第2週~コンサルによる方針転換~

2週目は前の週の金曜日から引き続きAlexendre Mandryka氏のゲームデザイン講義から始まった。それ自体ゲームデザイナーとしてとてもためになる内容。そのうえ僕のようにゲームを作ろうとしている人には個人的なコンサルティングの時間を用意してくれた。そこで彼は僕の企画のいくつかの問題点を指摘した。まずゲームプレイが複雑すぎてゲームをやる前にゲームの面白さが分からないであろう事、そして僕がやりたい事だけがつまっていて、ターゲットオーディエンスの望む物が無視されている事だった。そもそもターゲットオーディエンスが誰なのかも不明瞭だった。その場でAlexendreと一緒にターゲットが何であるか、もっと分かりやすくするとどんなゲームが好きな人達かを整理していった。そしてその日の夜僕は1人でSteamSpyで類似ゲームの売り上げ等を見てマーケットポジショニングを補強し、翌日再びAlexendreに相談する事とした。その2回目のコンサルティングでも、まだマーケット分析が不十分だと指摘された。そしてAlexendreは自身が企業へのコンサルで使っているエクセルシートを見せて、どのように調べていくのか教えてくれた。それを観た時僕は「これは一朝一夕に出来る事ではない。」と感じた。結局その日の夜もまたSteamSpyとか見ながら悩んでしまったが、結論としては「Alexendreの助言それ自体はとても有益だし、引き続きマーケットポジショニングは考えるとしても、今は中途半端にそこに時間費やすくらいなら他の事やった方が良い。」という判断に辿り着いた。翌日に入居するインキュベーション施設The Arsenaletのゲーム事業ディレクターのAdonis Flokiouのコンサルを受ける時間があったので、そこでこれまでの経緯を話し僕の判断が正しいか意見を聞く事とした。Adonisも僕の判断には賛成したのだが、念を押されたのは「かと言ってプレイアブルなプロトタイプを作るような時間もないはずだ。もう一行もコードを書かずに、ダイアグラムやスケマティックによってゲームプレイを説明することに集中しよう。」という事だった。デンマークに来る前からずっとゲームのプレイアブルデモを作る事ばかり意識していた僕からすると意外な展開にはなったが、とりあえず「今何をすべきか」はそこではっきりした。プレイアブルデモは作らないにしても、ゲームのスクリーンショットのような物は欲しいので、ストーリーの要約やキャラクター紹介、ゲームメカニクスを説明するダイアグラムを作りながらもMayaでキャラクターモデルにポーズをつけてUnityのシーンでレンダリングするという作業は続ける事とした。第2週目は他にも日本のアニメ産業についての講義等があったのだが、そちらは欠席して自分の仕事に集中する事とした。結果としてこの時の方針転換や限られた時間の中での選択と集中が功を奏する。自分のゲームのアイディアや事業戦略について身内ではない同業者の意見を伺うのは正直言って緊張する事だったが、日本でただ仕事をしていたらそのような体験はできない。このようなコンサル機会こそがこのアクセラレータープログラムの価値であると言える。このblog記事を書くにあたって当時のメモ等を見返したのだが、やはりこれからこのプロジェクトの終わりまで良い影響を与えるであろう重要なアドバイスを頂けたのだと改めて実感している。(次回は5/10頃に更新予定)

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2週目の土曜日は海に連れて行ってもらえた。忘れられない思い出となった。この日の事は時間があれば改めて話したいと思う。